SHUSHUMI 秀々美~ 潤いのある美肌へ~
「秀」の字は「穀物の穂」を表す「禾」と「曲がって垂れ下がる」様子を表す「乃」を組み合わせてできている。2つが組み合わさることで「穂が成長し垂れ下がる」様子を表現し、ここから「ほかの穂よりも先に抜き出る→優れる、抜きんでる」と展開した。また、その様子から「花が咲く」の意味や抜きんでていることを人に当てはめて「優れた人」も表すようになった。
化粧品ブランド名とした「秀」は優秀の秀を使用、物の品質を表す言葉である。
ブランド主の要望は優秀な製品をお客様に届けたいである。
https://ichigoichina.jp/kanji/7/%E7%A7%80
「々」は同じという意味で、もともと「同」という漢字の古字である「仝(どう)」という漢字がもとになっているといわれている。
前の「秀」をもう一度繰り返す役割に使用されており、優秀な製品をもう一度確言される。
「美」とは何かを一義的に定義することはむずかしい。ウィットゲンシュタインのいうように「語られえざることについては沈黙しなければならない」のだとしたら、美そのものについては一行も書くことが許されないだろう。われわれは、ただ、「美しいもの」との出会いにおいて、戦慄(せんりつ)し、眩惑(げんわく)され、蠱惑(こわく)されているばかりということになる。こうした美の秘密について、ほかのだれよりも知っているのは詩人たちであろう。美は「恐ろしきものの始め」(リルケ)であり、「巨大な、恐ろしげな純真な怪物」(ボードレール)だという。まことに、それは「言語に絶する何ものか」(ホフマンスタール)なのだ。これを概念によって定義しようとし始めるや否や、われわれは途方もない混乱に巻き込まれることになる。
しかし、別の解説方法にすると「美」は真や善とならび人間のあこがれてやまぬ価値の一つである。字義を漢和辞典にたずねると,美とは羊と大との合字で原義は〈肥えて大きな羊〉をさし,これが〈うまい〉ことから,ひいては〈うるわしい〉〈よい〉〈めでたい〉の意に用いられるとある。英語beautiful(美しい)など西欧語の形容詞をみれば,これも〈よい〉〈りっぱな〉等々の意味と重なりあい,きわめて多義的である。この多義的価値概念に体系的把握の道をひらいたのは近代に成立した美学であった。
つまり、化粧品ブランド名から解説と「美」は美しい(BEAUTY)の意味で、上の優秀な製品を選んで使用するときっと美しくなる。
人を美しくすることはブランドの使命だと思われ、ブランドが生まれたきっかけである。
賢い人はきっと優秀な化粧品が選べられる、きっと美しくなる。